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COLUMN

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THOUGHT

カリモクをつくった人

カリモク創業者の素顔を語ります。

ここは、カリモク家具の拠点に近い愛知県半田市の自家焙煎コーヒーが美味しいカフェ。約70年前カリモクをつくった「正平さん」こと、加藤正平を知りたくて、4人の孫たちに集まってもらった。彼らは、現在のカリモクを支える経営陣。創業者であり、祖父である、加藤正平とはどんな人だったのだろうか。

加藤正俊
祖父、加藤正平さんの若かりし頃の写真が、会社や展示会場に飾ってあるけれど、誰が一番似ているんだろうって、最近思ったんです。(言いながら、信さんを見る)
加藤 信
僕なのかなあ。
正俊
間違いないと思うんだけど。
加藤英樹
丸メガネにしたらそっくりだよ。
そうかなあ。
英樹
似てると思う。この前、33回忌を済ませたから、亡くなってもう32年。だから記憶はかなり消えてます。
正俊
当時は週休1日でしたから、日曜日に会うぐらいだったしね。長男の僕らの家と、次男の彼らの家を順番に訪ねてきて、お昼すぎから2~3時間いて帰るパターンでした。
加藤 洋
ひたすらタバコ吸ってるイメージしかないなあ。
正俊
そうそう、亡くなる1年前まで吸ってました。
洋モクのグレーのパッケージのタバコを吸ってませんでしたっけ?それがポーンとタンスの上に置いてあったことを覚えています
正俊
心臓が弱かったのにね。
英樹
坂を上がるときに、腰を押せって言われて押した覚えはない?でも、子どもが押してるからたいして力になっていないから、甘えて言ってるだけだったと思うんですけど(笑)。
ガウンみたいのを着ていませんでした?
正俊
ガウンていうか和服じゃない?丹前みたいな、帯でグッと結ぶような。
英樹
そうそう、格好は和服だった。でも家に和室はなかったね。
正俊
洋室で、フラミッシュ色*の椅子に座っていたのを覚えてます。(*濃い茶色。当時のカリモクで主流だった塗装色)
昔のUF5000番かな、ゴブラン織りの張地の椅子。
英樹
どっしりした感じで。センターテーブルも、四角い脚がついた一枚板で立派でしたね。でもどこかにいってしまって。
僕は、籐のロッキングチェアみたいなのに座ってたイメージが強いです。
正俊
籐のロッキングチェア、あったね!
英樹
祖父は体が弱かったからか、僕たちと一緒にボール遊びとかをした記憶は全然ないなあ。やっぱり座っている印象。
正俊
初詣には行ったよね。正月に集まれる家族だけで、40、50キロぐらい離れたところへ車2、3台で遠出して。その帰りにいつも立ち寄る食事処の川魚料理が小さい頃は苦手で。
そういえば、あちこちの神社に行きましたねえ。
正俊
三重県の多度(たど)大社だったり、長野方面だったり。変わった神社を教えてくれる社員がいて、その人が推薦する神社へ行ってました。あと、祖父の誕生日前後に毎年、家に家族全員揃って、お誕生会みたいなことはやってましたね。
左から、祖父の故 加藤正平、父 加藤英二に抱かれた英樹。祖母に抱かれた正俊。英樹と正俊の母と、母の妹(加藤知成の妻)。
僕らかなり小さかった頃の話ですよね。
正俊
でも僕が中学生ぐらいまでやってたよ。といっても、近所のお魚屋さん兼お弁当屋さんで調達した料理を並べるだけ。母や叔母は何かというとそこのお弁当。母たちは「今日はお弁当だから」って嬉しそうでしたけど、こっちはいつも同じ弁当だから、飽きていて(笑)。
今も注文を受けてくれて、会社まで運んでくれますよね。
英樹
変わらないよね。おかずが置いてある位置まで変わらないですから。
「Kチェア」に負けないぐらいのロングライフデザイン。中身も味付けもまったく変わらない(笑)。
左から、加藤英樹、洋、正俊。
おじいさんが好きだった、たくさんのもの
まだ南洋材の丸太を輸入していた頃に、丸太と丸太の間にサソリの死骸が見つかったっていう連絡が会社からうちにあって。それで僕はすっ飛んで見に行き、サソリを持って帰ってきて、おふくろが悲鳴を上げたことが。一同(爆笑)
祖父は虫嫌いだったけど、花は好きでしたね。でも花を育てていると、クモの巣ができたり、小さな虫が出てきたりするじゃないですか。虫を退治してほしいから、「洋君、行ってくれ」って頼まれて、ひたすら虫をバンバン退治していました。いつだったか「なんでそんなに虫が嫌いなの?」って聞いたら、子どもの頃にトイレでクモにおしりを噛まれたって。
一同
(爆笑)
正俊
それは初めて聞くエピソードだ(笑)。
そういえば、大きいクモが出ると「あれは倒さなくちゃ」って言ってた。
正俊
温室もつくってましたね。盆栽も大量に持っていたし。
英樹
「趣味は花」と言っていましたね。
正俊
家の外に花畑もあって。知成叔父さんが耕して、お母さんと娘たちが植えて。本人は指示するだけ。
英樹
あの頃はもう、祖父も体力がなかったですからね。
洋蘭栽培の腕がプロ級だったって聞いたことがある。
英樹
いや、そうでもないらしいよ。「咲きました」って人に差し上げていたけど、時々マジックを使っていたみたい。うまく咲かないときは、買ったものを持っていったこともあるという話でした(笑)。
祖父の家の庭で遊ぶ小学1年生の加藤信。奥に見えるのが、祖父が植物を育てていたビニールハウス。
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