洋 最先端の機器や家電も大好きでしたよね。ポラロイドカメラとか、いち早く持ってました。 信 それ、記憶ある! 英樹 開け方を間違えるとビーって鳴るから、オレ、カメラを壊しちゃったかと思ってビビったことがありました(笑)。 正俊 車とかモーターボートとか、乗りものも好きで。 英樹 でもって、釣り好き。持っている竿の本数も半端なかった。家の目の前の川から、モーターボートに乗って釣りに出かけていました。 正俊 見ようによってはシャレた生活でした。川は汚いんですが(笑)。 信 英二叔父さんが、よくボートの運転させられたんですよね。 英樹 そうそう、祖父に「免許取れ」って言われて。前は、部下に頼んでいたと聞いています。「船を洗っとけ」だとか、「釣った魚を触るのが嫌いだから、釣り針からはずしてくれ」だとか 一同 (笑) 英樹 料理するのは祖母。魚を触らずに、釣るだけというスタイル。 正俊 祖母の実家は養鰻場だったでしょう。 洋 そういえば、家の前の川で1回、ウナギを釣ったことあって。祖父の家に行ったら、祖母がシュッてさばいてくれました。 信 ウナギが好物だったんですよね。
正俊 そう。だから、会社の人にも事あるごとに「ウナギをご馳走するから」といって、ハッパをかけてたって聞きました。おかげで、魚釣りが好きな人が社内にまだけっこう……。 洋 いますね。工場に魚拓が貼ってありましたからね。 正俊 僕らが入社した頃は、ちょうどそんな時代だったね。それから、会社にたくさん絵が飾ってあるのも祖父の影響。 英樹 それを受け継いだのが、うちの父。 正俊 で、孫たちは誰一人として、絵画好きを受け継ぎませんでした(笑)。 英樹 昔は画廊の方が絵を持って来ていましたもんね。買うのは、掛け軸よりも洋画。有名なのは今、オレが座っている後ろの……。 正俊 安井曾太郎の絵。 英樹 あれは祖父が買ったと聞いています。 洋 黒田清輝もあるよね? 正俊 あるある。買っていたのは、ほとんど日本人の画家が描いた絵でしたね。 洋 馬の絵が好きで、いつも飾ってあったから「なんで馬の絵が好きだったの」って聞いたら、「馬は元気だから」って。 英樹 陶製の馬の置きものもあった。 洋 考えてみると、「元気になりたい」っていう思いが強かったんだろうね。
「本物を大事にしなさい」という一言 洋 会社を出ると、仕事の話はほとんどしない人でしたね。 正俊 家でもまったくしなかったんじゃないかな。体が弱かったから、基本は人に任せていたみたいですし。 英樹 でも、最後は全部、自分で確認する慎重な人で。 洋 「止まったら死ぬよ」って祖父に言われたことはない? 英樹 それは聞いたことがないなあ。 洋 会社がある程度の規模になった頃、「これ以上努力しなくてもいいんじゃないの?」と言ったら、「止まったら、置いてかれる」って。いつも新しいことチャレンジしてきて、やっと今があるんだから、と言っていました。それを聞いた当時は「疲れる人生観だな」って思ったけど、今になって、その言葉を意識しているところはありますね。 英樹 石橋を叩いて渡る堅実経営だったと聞いてます。ヒビが入るまで叩くほど慎重。借金がとにかく嫌いで、すぐに「返せ」ってハッパをかける。工場を建てて設備投資して、普通なら10年、15年と返済にかかるところを2年や5年で返すって宣言して、ヒーヒー言ってたって、父が話していました。 洋 うちは小さい頃、父がすごく厳しかったんです。スパルタ教育が流行った頃で、ヘマをすると有無を言わさず拳が飛んできた。弟の信には甘かったんですけど。そんななか、よく家出をして、祖父の家に逃げ込んでました。ここだけは絶対に大丈夫だって。
信 そうだったんだ。 洋 で、何時間か経つと、祖父が祖母に「家に電話しなさい」と言って。父が迎えに来て、父が祖父にすごく怒られてるのを横で見ていました。 一同 (爆笑) 洋 逃げ込んだときに、祖父とした話がけっこう記憶に残っていて。当時の日本はまだ重厚長大で、自動車や鉄鋼が花形産業。それで「もっとかっこいい車とか、なんでつくらなかったの」ってたずねたら、「先々、どうなるかなんてわからないよ。でも家具は、人が地球に住んでいる以上、形を変えながらも道具として求められるものだ」って。 英樹 もともとは祖父と同じ家の2階に住んでいたから、いろいろと思い出があるんだよね。 洋 信は生まれてすぐ引っ越してるから、記憶がないだろうけれど、僕はありますね。ほかに印象深いのは、印刷物とか木の代替品が出てきて「本物の木にどんどん近づいていったら、どうなるの?」ときいたとき。「紛(まが)いものが、本物に似通ってくれば似通ってくるほど、本物が際立つから、本物を大事にしなさい」と言われました。 英樹 いい話だなあ。そういえば、「勉強しなさい」とも一切言わなかったし、「継いでくれ」といった話もされなかったよね。
洋 僕は、ちょっとした思い出があって。ずっと獣医になりたかったんですが、父は林産工学科以外、学費は一切出さないと言って取り合ってくれない。で、いつものように祖父の家に逃げ込んで「僕は獣医になりたい」ってぼやいていたんです。 信 動物好きですもんねえ。 洋 高校2年生のあるとき、祖父に「ちょっと座んなさい」と、珍しく真ん前に座らされて。急に木の話をしてきて「洋、木を勉強してくれないかねえ」と言われたんです、一言だけ。でも、僕が「やっぱり獣医になりたい」って言ったら、けっこう寂しそうな顔していました。で、翌年の6月に祖父が亡くなったとき、葬儀で祖父の義理の姉が「あんた、木の勉強、してくれるんだろうねえ?がんばらなイカンよ」って言われて。 洋 そこで、「もう、わかりました」と。「そっちへ行きます」と言って、今の僕があります。 英樹 僕は、祖父と仕事に関する話をした記憶はやっぱりないなあ。みんなの前で何かをしゃべってる姿も見たことがないんです。 正俊 人が集まる会へ行っても、話すのは父や叔父さんばかりでしたね。 洋 そういえば、昔付き合いがあった社長さんから「君のおじいさんはよく来て、一切仕事の話はせずに、話す内容はもっぱら健康法だった」って。細かい実務的なところは、おそらく担当者に任せて、トップ外交みたいな感じだったんでしょう。 正俊 僕も1回だけ、ある家具屋さんの催事場で、昔を知ってるご年配の方に「あんた孫か」って聞かれて、「おじいさんはかっこよかったけど、あんた今一歩だね」って(笑)。「おじいさんはモテたんだよ」みたいな話をされました。 英樹 背が高かったんだよね。祖母も高いけど、それより高かった。 洋 遺骨も立派だったよね。 信 そういえば、祖父の棺って、けっこういろんなものが入っていましたよね。鞄か何かを入れたんでしたっけ? 正俊 腕時計を入れたかな。祖父はお正月の年賀状で当選した景品をずっと身につけていたから、たしかそれを入れたはず。 英樹 最近、父がやたらに祖父の話をするんです。次の世代に繋げなきゃいけないからだと思いますが。 洋 それはうちも同じです。「加藤正平さんはなあ」って。 信 「それ、ほんとにおじいちゃんが言ったの?」って疑ったりして(笑)。 英樹 まあ、おもしろおかしく言いながらも、心の底では父として、経営者として、祖父を尊敬してるんだと思います。 洋 ただ、僕たちにとっては、あくまで休日にブラっと来て、僕らがワイワイやっている姿をソファに座ってやさしい目で見ていたおじいちゃん、ですね。
カリモク60の生い立ち 僕らがKチェアを作った頃 東京オリンピックの開催を数年後に控えた日本。社会全体が高度経済成長に沸き、ちゃぶ台からダイニングテーブルへとライフスタイルは変化しつつあった‥‥ 片山辰美Tatsumi Katayama 林隆嗣Takatsugu Hayashi
ロビーチェアは50歳 私の好きなロビーチェア 1968年の誕生から、2018年で50年を迎える「ロビーチェア」。応接間やカフェ、待合室、さまざまな場で活躍してきた陰には、作り手から売り手、使い手へと手渡され‥‥ 林 隆嗣 / ナガオカケンメイ / 稲垣栄一 / 田中 昇