では、さかのぼってカリモクが家具の生産に乗り出した1960年代の状況はどうだったのだろうか。1960年代から70年代にかけて、国内ではブナの活用が活発になってきた。実際、誕生当初の「Kチェア」も、国産のブナが大量に使われていた過去がある。その調達に携わったことがある刈谷木材工業の元副社長・井口明親氏に当時の話を聞いた。
井口さんが入社されたのはいつでしょうか。
当時の様子を記録した写真に、正門から工場の敷地内までレールが敷かれている様子が写っていて驚きました。
井口さんがブナ材の調達に関わる頃には、もう板材だったんですね。仕入れでは、実際に現地に足を運ばれたんでしょうか。
一番大変だったことは何でしょうか。
安定供給のために、やっていらっしゃったことは?
どのくらいの頻度で行っていたんですか?
ほとんど東北にいるようなものですね! つまりはそうまでしないと、木は手に入らなかったということですよね。