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COLUMN

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TREE

木のはなし
山のことを知らないと
適切な道は作れない
加藤
さきほど20年以上放置していたとおっしゃっていましたが、それでも山は荒れないんですか。
中嶋
この森の木々の大きさが揃っていないのは、放置した20数年が原因ですわ。でも最初の20年に、ちゃんと下刈りをしている。ヒノキの下に枝がないから、枝打ちもしていたことがわかる。枝打ちは、20年ぐらいまで。枝が親指以上の大きさになったら、やったらダメ。傷が入って、材にしたとき節がでるかもしれんから。叩いて枝が落ちるぐらいのときがいちばんいいんです。
加藤
「枝打ち」という言葉通り、枝を打って落とすんですね。
中嶋
そうです。ここは最初の20年でちゃんとやっとったから大丈夫。これから2回ぐらい間伐して良木だけが残っていけば、樹齢100年以上のええ山になりますよ。さきほど薄暗いとおっしゃいましたが、これぐらい暗いのが本来の山の姿です。
加藤
間伐して、ある程度光を入れたほうがいいと思っていましたが、違うんでしょうか。
中嶋
明るいのは、環境を一気に激変させるんです。光が入ると、土壌が乾く。土に保水力がないと木に水がいかず、育たない。だから乾かしたらあかんのです。土が乾いた瞬間に、スギでもヒノキでもぜんぶ成長が止まる。とくにヒノキは枯れます。
加藤
木にとって、天敵は何ですか。竹ですか。
中嶋
竹は生えてきたらすぐに刈りますが、そもそもここにはそんなに生えてこない。空間が空いていれば生えてくるかもしれんけど、これだけ木が密集していたらよう生えらんのです。
加藤
じゃあ、森にとって最大の天敵って何ですか。
中嶋
これだけ木が伸びていると、怖いのは風。目の前にあるこの木ね、横に線が入っとるでしょ。これは風に揺られて繊維が切れた証拠。こうなったらもうA材(*)としては売れんけど、風除けで置いておくしかない。だから大きな機械を入れて広範囲に間伐するのはあかんのです、風が一気に入ってきて木を傷めるから。この木に線が入ったのは、道をつけるのを間違って余計な空間ができ、風が吹き込んだからです。
加藤
道をつけるのを間違う、とはどういうことなんでしょう。
中嶋
じつは作業道を作るのが、いちばん神経を遣うんですよ。伐りすぎたら林地が減るし、風も入る。やわらかい山肌に道をつけると、大雨が降ったときに崩落してしまう。木の状態、地盤を見極めながら、搬出用の2tトラックがギリギリ入るぐらいの狭い道をヘアピンカーブを切りながら網の目のようにめぐらせていく。これだと「ユンボ」と呼ばれるショベルのついた小型機械で作業できて、初期投資も抑えられるし、燃料も安くで済む。だから自伐でできるんです。
加藤
肝心なのは、最初の道作りなんですね。
中嶋
そうです。大規模林業では、大型機械を入れて直線的にスイッチバックしながら道を作っていく。そのほうが手っ取り早くて簡単だから。でもそれだと風は入るし、やわらかい山の腹を削ってしまって大雨で崩れる。山を壊してしまうんです。
加藤
だいたいどのぐらいのペースで道作りは進むんですか。
中嶋
だいたい年間一人1~2キロ。1キロというと約3ha分ぐらい。あとは広さ次第で、道作りの期間は変わってきます。道を作りながら少しは間伐もするけど、メインは道作り。なのでそのあいだは補助金をもらって、道ができたら補助金から卒業。自伐林家になりたいという人には「兼業でやれ」と言ってますが、道作りに時間がかかることもその1つの理由です。
加藤
どんなお仕事と兼業しているんでしょうか。
中嶋
多いのは農業、観光。木が成長する春夏はあまりさわらんほうがいいので、季節的に合っているのは農業です。春夏に別の仕事をして、秋冬限定にすると、山にもあまり負担がかからんですから。
加藤
ほかに収入があれば、伐り過ぎないで済む。それも持続性につながりますね。
中嶋
先の徳島の自伐林業家さんが「山から両手でもろうたらあかん。その半分ぐらいにしとけ」と言うんです。間違えて余計に伐ったら失敗する。頻繁に山に入って確かめながら慎重にやらなあかんから、委託だとコストがかかる。それができるのが自伐だということです。
加藤
新たに植林をすることはあるのですか。
中嶋
こういう山で、ここが空いたからといって植えても、上が大きな木で覆われているので育ちません。植林するのは、完全に成長が止まったところ。ただ、樹齢100年以上にならないとそういう山は出てこない。50年の山をいま引き継いだ人は皆伐を絶対したらあかん、死ぬまで。次の代もまだしたらあかん。ここらは地力もよさそうやし、100年はいきます、十分。残念ながら、大きく育ったヒノキを我々は見られないですが。
樹齢約80年のスギ。これぐらいの樹齢の森になると補助金から卒業した自立自営の経営が可能となる。森も美しく、気持ちよい。
作業道を敷設して、間伐材を搬出してトラックで運ぶところ。材質はC材。
日本の林業が変われば
木材産業も息を吹き返す
加藤
これまで針葉樹のお話が中心でしたが、家具に使う広葉樹の状況はいかがでしょうか。
中嶋
いま多間伐施業を広葉樹でいかにやるかというプロジェクトを岩手県の一戸町で起ち上げようとしています。ある企業が所有している500haほどの広葉樹林で、まずは薪を作りながら、どれだけ家具の原木になる木があるかを調査して、高級原木の生産を主にしながら薪を副業にするという、広葉樹施業を確立していきたい。日本の森林の約半分は広葉樹林なので、これを使わんのはもったいない。
加藤
その土地に合った木を育て、活用するのも大切ですよね。
中嶋
神社によく鎮守の森がありますが、あれは「この土地にはこういう木が育ちますよ」という見本。神社や寺の横に植えてあれば、怖くて誰も伐られへんから。でも、いまはそういうことを知らない人も多い。多種多様な原木が出てくるようになれば、今度は需要をどうするか考えていかなあかんでしょう。
加藤
輸出を視野に入れたほうがいいですよね。
中嶋
ええ、材として輸出するのはもちろん、木材製品としても輸出していきたい。家具メーカーもいまは輸入材を使ってますが、そうしているかぎりは、原木を産出しているヨーロッパの家具の上にはいけない。日本にはもっといろんな木があるから、さらによいものを作ってその逆襲をせないかんというのが、広葉樹プロジェクトのもともとの思いです。
加藤
僕らもできれば国産材で家具を作りたいと思っていますが、なかなかいい材を確保できないのが現状です。
中嶋
本当はその状況はおかしいんですよ。世界最大の林業国のドイツには、森林面積は日本の4割しかないのに、林業が全GDPの5%を占めていて、日本の約7倍の額にもなる。それは、大きくなるまで育てているから。質がよく、1ha当たりの生産量も多い。昔はドイツも皆伐していたけど、じつは明治時代に吉野に学びに来ているんです。それで吉野をちょっと真似しただけで世界一と言われるようになった。日本が吉野型を本気でやっていたら、ドイツの数倍の産業になっていたと思います。
加藤
ドイツは、家具市場も大きくて、一人当たりの家具に対する支出金額が日本の約5倍と言われています。ただ、システムキッチンや造作家具もぜんぶ家具屋が販売しているので、その売り上げも含まれているという影響もありますが。
中嶋
ドイツには小さな木工屋もいっぱいあります。ずっと安定して木材を供給できているから、製材屋があって、木工屋があってという仕組みが自然にできている。でも日本は伐採しすぎて昭和30年代に一度落ち込み、製材屋も木工屋も消えてしまった。そうして新たに出てきたのが、機械的に製材をこなす合板集成材の大型製材工場。多種多様な木に対応できる技術力のある製材屋がいてこそ、付加価値の高い製品を作る木工屋も出てきて、曲がった木でも高く売れるようになる。そういう状況を作るには、やっぱり林業側が先行して、もう一度土台を作り直さなあかん。そのためには、やっぱり林業を生業にせなあかんのです。そうしていい原木が出てくると、日本の木材産業もがらっと変わるはずです。
加藤
僕らの主力商材にブナがありますが、ブナは「橅=木でない」と書くぐらい、扱いにくい材なんです。塗装を吸い込んでムラができるので、本来なら失敗作です。でもそれを売り出してみたら、使い古した味があるとヒットし、いまも製造しています。そうやって僕ら家具メーカーも固定観念にとらわれず、いろんな材に挑戦していきたいですね。今日は知らないお話もたくさん聞けて勉強になりました。ありがとうございました。
樹齢約80年のスギ。これぐらいの樹齢の森になると補助金から卒業した自立自営の経営が可能となる。森も美しく、気持ちよい。
作業道を敷設して、間伐材を搬出してトラックで運ぶところ。材質はC材。
森林組合
協同組合の一種。本来は山林所有者を支援するために作られた団体だが、現在は山林所有者が、森林保全や整備、事業などの作業を委託する団体になっている。
A材/ B材
木材は品質の高い順からABCDに分類される。基本、A材は太くまっすぐな原木で製材に用いられる。やや曲がっていたり細かったりとやや劣るものがB材で、集成材や合板に利用される。C 材は主にチップや木質ボード、D 材は主に燃料に用いられる。
  • 中嶋健造Kenzo Nakajima

    NPO法人土佐の森・救援隊理事長、NPO法人自伐型林業推進協会代表理事。1962年高知県生まれ。2003年同隊設立に参画。2014年同協会を起ち上げ、自伐型林業の普及に向け邁進。その活動が中山間地域への定住促進や、日本の林業復活につながる取り組みとして評価され、平成29年度総務省ふるさとづくり大賞(個人表彰)受賞。

  • 加藤正俊Masatoshi Kato

    カリモク家具取締役社長。1965年愛知県生まれ。1991年カリモク家具販売(現カリモク家具)入社。副社長時代の2002年、カリモク60のブランドの起ち上げに携わる。2016年より現職。一貫して木の特質を生かした家具作りに取り組む。

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Text:
Yuko Shibukawa
Photo:
Shintaro Yamanaka